子どものころキライだった食べ物が、ふと気づいたら大好物になっていた。
あなたにもそんな経験はないでしょうか?
私にとって抽象的な美術作品は、そんな存在です。
かつてはモネやルノワールに代表されるフランス絵画のような、パリや田園の美しい風景や、もしくは細部まで描きこまれたリアルな絵が好みでしたが、今は「わけのわからない絵も面白い」と思っている。
モンドリアンやカンディンスキーの抽象画からは音楽が聴こえるし、ジャコメッティの彫 刻からは人間の生き様のようなものを感じる。
そんなわけで、今ではすっかり抽象的な作品が大好物になった私。もはや『地球の歩き方』に載っている美術館はたいてい行き尽くし、メルボルン郊外の美術 館にも足を伸ばしはじめました。
その中のいくつかでは、庭に彫刻が配置されていたり、丘の上からアートを見下ろせたり、光あふれる建物の中でゆっくり鑑賞できたり……すごく楽しかった。
まずは、自分の足で彫刻の庭を探索できる美術館を、2つご紹介します。
妄想で味わう!?スカルプチャー・パーク
瀬戶内国際芸術祭や横浜トリエンナーレなどの現代アート国際展が日本で人気を博した理由の一つは、鑑賞者が「歩いて」自然や町の中でアートを見つける楽しさ、ではないでしょうか。
つまり、たとえば
「静かに、何か高尚なことを考えながら見なきゃ。 えっとこの絵が描かれたのは19世紀だからつまり……」
というような、美術館の雰囲気が醸し出すプレッシャーから解き放たれ、友達とあれやこれや言いながら見る楽しさ。
上に挙げた芸術祭には、そういう面白さがあるのだと思います。
ここオーストラリアには広大な土地があり、たとえば自然の中におかれた彫刻を見ながら ピクニックしたり、一日かけて散歩がてらアートを楽しめる場が、いくつも用意されています。
その一つが、McClelland Sculpture Park+Gallery。
まずはこの彫刻の公園から、散策することにしましょう。
メルボルン中心部から電車に乗り、南に下って1時間10分程度。
Frankston駅からさらにバスで15分ほど進み、公園近くで降りて10分ほど歩けば到着です。
奥に進んでいくと、ギャラリーの建物と大きな池が見えてきます。
そして、池の中や、広々とした公園のそこかしこに置かれた大小様々な作品が、さっそく目に飛び込んできます。
まずはギャラリーに入り、受付でビジター・マップをもらいましょう。 地図と作品名・作家名が記されており、見てまわるのに役立ちます。
また、この施設に決まった入場料はなく、寄付で成り立っています。
寄付ボックスは受付横に置かれていますので、ギャラリーを見てまわるついでにお金を入れるとよいでしょう。
ギャラリーはあまり広くはありませんが、平面・立体ともに意欲的な作品が展示されていました。
スカルプチャー・パークは、3つのゾーンに分かれています。
入り口から近いゾーン1は、池のある広々とした比較的平坦なエリアで、家族連れのピクニックに最適です。
ゾーン2は斜面に特に個性的な作品が点々と配置され、見どころの多いエリアです。
この白い球体の集まりにも、子どもたちが喜んで駆け寄っていました。
ゾーン3は木々が生い茂り、森を探検しているかのような気分が味わえるエリア。ときには大型の動物に出会うことも。
森の中に置かれているからこその臨場感です。
パンフレットによると、これら3つのゾーンを合計してオーストラリア随一の彫刻庭園を形成し、モーニントン半島の植生を活かした庭園内には、100体以上の彫刻を置いているとのこと。
私も全て見てまわるのに3時間以上かかり、かなりの規模だと実感しました。
さて、抽象作品や現代的な作品を前にしたとき、どのように見てまわると楽しめるでしょうか。
もちろんアーティストに関する知識があったり美術の素養があったりすれば、より専門的に掘り下げて見ていくことが可能ですが、……あいにく私はここに置かれた作品の作者も知らないし、作品の良し悪しも判断できない。そういうときは、自己流で楽しむことにしています。
まず、抽象作品のテーマが何なのかを想像し、その後タイトルを確認して、当たっているかどうか確かめるというやり方。
自分の考えと作者の意図がマッチしていると、ちょっと嬉しくなります。
たとえば、これ。
私はこれを見て、中国・北京の天文台を思い出しました。
それは世界最古の天文台の一つで、そこにあった観測器具に似ている。
なんとなく上部の石や輪っかが、惑星や軌道のようにも見える……。
と、あたりをつけてマップを見ると、タイトルは“Halo moon stone”。
やった、やっぱり天体だ!と小さくガッツポーズをしました。
抽象作品が何の形に見えるか考え、他の人にとってはどう見えるかを盗み聞きして楽しむことも。
私は直感的にこれをゾウだと思った。
すると、近くにいた小さな女の子が母親にこう叫びました。
「エレファント!」
私の思考回路は彼女と同じくらい若々しい……ということにしておきたいものです。見たままの造形を楽しむことも。
作品名“Alien”。……まさしく。 森の中でふと出会う違和感が、驚きを与えてくれる作品もあります。
ときには、作品の生まれた背景を深読みしてしまうことも。
“White ape”、白い猿。
現在は多文化主義をとりつつも、かつては白人中心の政策をしいてきたオーストラリアでこの作品に出会うと、アーティストの主張がそこにあるのではないか?などと興味がわきます。
そんなふうに、ときには立ち止まって正面から眺めたり、ときにはぐるぐるあたりを回ったりしながら、自然の中の作品を「自分で探す」「会いにいく」楽しみを満喫しました。
ギャラリーにはカフェが併設されていますし、Frankstonの駅前には大きなショッピング・センターもあるので、足を休めてから帰路につくのもいいのでは。
想像力、妄想力を⻑時間使い続けた頭の疲れもとって、1日を締めくくりたいものです。
オーストラリアのヒーローに会える!ハイデ現代美術館
上に紹介した公園ほど広くはないですが、抽象的な作品が楽しめる美術館は他にもあります。
ハイデ現代美術館(Heide Museum of Modern Art)は、ギャラリーでの展示も彫刻の庭も両方楽しめる美術館と言えましょう。
オーストラリア人アーティストならではの作品が展示され、見どころ満載でした。
市中心部からこの美術館に行くには、やはり電車とバスを乗り継ぎます。
まずは電車でHeidelberg駅に行き、そこから903番バスで美術館近くまで行って、降りてから少し歩きます。
こうした作品が見え始めてきたら、入り口もすぐ近くです。
入り口にあるカラフルなオブジェは、この美術館のトレードマーク。
入館料は少々値がはりますが(18ドル)、私は十分もとがとれた、と思っています。
ハイデ現代美術館にはスカルプチャー・パーク(彫刻の庭)のほか、メイン・ギャラリーとして使われているHeideIII、そこから庭の方向に続いていくギャラリーHeideII、少し離れたところにキッチン・ガーデンとともにある白い壁のコテージHeideIがあります。
HeideIIIの入り口の向かい側にはカフェがあり、モダンな雰囲気の中でくつろぐことができます。
では、まずは庭を散策してみましょう。
庭をぐるっと囲むように配置された抽象的な彫刻群。
一緒に来た友人と「よくわからないけどなんとなく好き!」 「角度を変えると全然違うふうに見える!」などと言いあいながら、散歩にちょうどよい広さの庭を見て歩きました。
屋内もまた、開放的なつくりになっています。
私が訪れた際のメイン・ギャラリーでの特別展は、オーストラリアの女性アーティストJenny Watsonのものでした(2018年3月4日まで)。
展示のタイトルは“The Fabric of Fantasy”。
白い馬やワンピース姿の女性が頻繁に登場する彼女の作品群は、実に多彩。
ベールのような布がキャンバスにかけられていたり、コラージュの手法が用いられていたり、様々なタッチの絵が飾られています。
パステルカラーを使っていても甘く見えない絵の中の女性たちは、夢の中をただよっているようにも、自立心をもって現実を見すえているようにも見えました。
光がほどよく差し込む明るい館内は、彼女の絵にぴったりとあっていました。
メイン・ギャラリーの隣にあるHeideIIに入ると、天井から作品が吊り下げられていたり、洋服のデザインがあったり、様々なアーティストの作品が展示してあります。
小スペースながら、静かで落ち着ける空間でした。
建物を出て、小さな菜園の横を通り、白い洋館HeideIに向かいましょう。
建物のガラスにも絵が描かれており、陽光を反射していました。
洋館のつくりを活かした展示室には、比較的小さな絵画作品が展示されています。 見どころは、本がずらりと並んだ書斎のような部屋にある、Sidney Nolanの絵画。
彼の作品の特徴は、少しぼやかした荒いタッチの風景と、オーストラリアのヒーロー、ネッド・ケリーが描かれていることです。
ネッド・ケリーは19世紀の半ばに生まれたオーストラリアの盗賊で、警官などの権力に反 抗し、貧しいものには分け与える義賊として、貧困層から人気を集めたといいます。
一味が身につけていた顔をすっぽり覆う甲冑は、実際はかなり重くて実用的ではなかった という説もあるようですが、彼らのシンボルとなりました。
Sidney Nolanの絵の中にも、その甲冑が描かれています。
現在ネッド・ケリーの評価は見方によって異なるようですが、一味の甲冑をあしらったグッ ズは土産物にもなっていますし、一種の伝説となっていることは間違いありません。
その生涯は繰り返し小説化・映画化され、比較的最近の『ケリー・ザ・ギャング』という映画には、人気俳優のオーランド・ブルームも出演しています。
銀行強盗や殺人を犯しているにもかかわらず、彼は「反権力」の象徴として支持を集めたのです。
私もメルボルンに住みデモや集会の様子を見ていると、オーストラリア人は日本人と比べて権力への反骨意識が強いように感じました。
それについては杉本良夫『オーストラリア多文化社会の選択』(岩波新書、2000年)の中 にも記されており、さらに同書ではオーストラリア社会についてこう述べています。
もともとイギリスからの囚人が初期の開拓者だったオーストラリア。
自分の先祖が囚人だということが、誇りという人もいるようで、それは「何か犯罪を働いたということは、ときの権力に楯突いたということであり、プライドを持つに値するという論理だ」そう。
また、「反権力的な懐疑主義は、オーストラリアの市⺠社会のあり方にも刻印を残してい」 て、「お上は信用できないから、私権の領域への介入はなるべく限定する一方、政治的な代表者の選出には市⺠みんなが参加するという⺠主主義」をとっているといいます。
オーストラリアの選挙は、日本と違って全員投票制。
投票が義務付けられているのです。 ネッド・ケリー一味の甲冑は、メルボルンのいくつかの場所で見ることができます。
これはビクトリア・ポリス・ミュージアムにおいてあるものですが、ほかにも州立図書館のギャラリーや、旧大蔵省ビル(Old Treasury Building)にも、ネッド・ケリー含めブッシュ・ レンジャー(山中の荒くれ者、というような意味です)に関する解説とともに展示されています。
私は他の美術館で Sidney Nolan の風景画を見ていましたが、ネッド・ケリーを描いたもの を見たのはこの美術館が初めてでした。
描かれたネッド・ケリーは少しコミカルで、親しみやすく、美術館での邂逅をうれしく思いました。
(ライター:NAO)