【ストリート編】では都会の中に現れるアートを探索しましたが、メルボルンのあるビクトリア州は、南に行けば海、内陸部に入ると山という自然豊かな土地であり、その自然の中にも「アート的なるもの」はちゃんと用意されています。
せっかくのアート探求の旅、少し足を伸ばしてみましょう。
輝く海辺の小屋のアート ブライトン・ビーチ
メルボルン中心部のFlinders Street駅から、電車で南下すること20分ちょっと。ブライトン・ビーチ(Brighton Beach)駅に到着です。
セント・キルダ・ビーチ同様、中心部からのアクセスのよい場所にあるといえましょう。
ここからMiddle Brighton駅方面に向かう途中に、目当てのアートがあるのです。
小さな駅から出ると、すぐに海に出ます。
海の色は少し強めのエメラルドグリーン。
同じ都会の海ですが、東京湾とは趣が異なります。
ビル群を海の向こうに見ながら、貝殻のまじった足をとられる砂の道、そして強い海風に対抗するように歩を進めていくと、少々疲れてきたころに、着きました。
もともと更衣室だったというカラフルな小屋が、ずらりと並ぶエリアです。
「これぞインスタ映え!」とでも言いたくなるような、キュートな色づかい。
青と黄、赤と緑、ピンク、紫、パステルカラー……
おもいおもいの色で塗られた小屋は、空の青と海の青の真ん中で、鮮やかに光を反射していました。
さて、小屋の一つ一つに注目してみましょう。
こうした、いかにもオーストラリア!なデザインもあれば、
北斎の富嶽三十六景に出くわしたりもします。
海の様相はここと全然違うんだけど……と思いつつ、ゴッホをはじめ名だたるパリの画家を魅了した浮世絵のデザインが、オーストラリアのビーチにもとり入れられていることを、なんだかおかしく、ちょっとうれしく感じました。
小屋を見たあとはもと来た道を引き返してもよいのですが、せっかくの機会、高級リゾート地を見ながらMiddle Brighton駅まで歩くのもよいでしょう。
駅前のChurch Streetには洗練されたブティックやレストランが並んでいますし、カフェでひと息つくこともできます。
潮のにおいと海の光に、ちょっぴり鎌倉を思い出した一日でした。
ダンデノン丘陵の彫刻の森 ウィリアム・リケッツ・サンクチュアリ
そこに入り込むと、一種の聖地に入ったような気分になる。
神秘の森……。
ため息をつきながら見てまわったのが、ウィリアム・リケッツ・サンクチュアリ(William Ricketts Sanctuary)でした。
この森のあるエリア、ダンデノンへのデイ・トリップを、他のアートスポットとともに振り返ってみたいと思います。
ダンデノン(Dandenong)とは、メルボルンから東、電車で1時間ちょっとの距離にある丘陵地帯。
都会で働く人々が週末自然を散策するのに訪れる、人気スポットの一つです。
ここでは蒸気機関車パッフィンビリーが有名ですが、私にとっては予算オーバー。
電車でUpper Ferntree Gully駅まで行き、少し北側のCroydon駅までをつなぐバスに乗って、……つまり公共交通で安上がりにすませ、メルボルン中心部のビジター・センターでもらった地図を片手にセルフ・ツアーに繰り出しました。
地図を見ると、688番バスはTourist Roadという丘陵を抜ける山道をひたすら北上し、その途中にSassafras、Olinda、Mt Dandenongなどの小さなヴィレッジや、庭園、国立公園がいくつもあるよう。
車で来れば公園やヴィレッジを効率よく回れますが、バスが頼りの私はTourist Roadから歩いて行ける範囲で、丘陵探検を楽しむことにしました。
バスは木立の中をぐんぐん走りますが、舗装された道路のためか揺れはあまりありません。
Upper Ferntree Gully駅を出て10分ちょっとたった頃に下車し、パンフレットに載っていたアルフレッド・ニコラス・メモリアル・ガーデン(Alfred Nicholas Memorial Garden)を目指して歩き始めました。
ダンデノン・エリアには森を縫うような人一人分の脇道が、車道と並行して作られています。
バスを降りたところにあるモニュメントからメモリアル・ガーデンまで、ちょっとした探検気分で歩き続けると、車道と合流した少し先で公園の看板が見えてきます。
到着です。さっそく入ってみましょう。
私が訪れた4月のはじめは、オーストラリアでいうと秋。
春の花々はありません。
そのかわりに秋の木々が落ち着いた様相を見せていました。
この公園の見どころは、ボート・ハウスのある池です。
急な坂道を下った先にある池には、蓮はないもののモネの《睡蓮》に出てきそうな小さな橋が何本もかかっていました。
浮島でピクニックをする家族づれにまじって、サンドイッチをかじりながら池を眺めると、小さな別世界に来たような気分です。
そしてその奥にあるボート・ハウスが、これ。
水面に木々とボート・ハウスがさあぁーっと反射して……にぎやかな公園の中に、ある種の神々しさをともなった光景を作り出していました。
さて、再びTourist Roadに戻り、バスで村に行ってみましょう。
このあたりにはいくつか小さなヴィレッジがありますが、メモリアル・ガーデンから一番近いSassafras Villageに行くと、可愛らしいカフェや土産物屋が並んでいました。
道路沿いの小さなエリアに、ギャラリー、ベーカリー、ティーポット専門店、本屋、アンティーク雑貨屋などが詰まっていて、一軒一軒見ていると、あっというまに時間が過ぎます。
再びバスに乗って、最後の目的地ウィリアム・リケッツ・サンクチュアリへ。
バスストップから横道に入ってすぐ、無料のこの施設の入り口にはビジター・センターがあり、ポストカードや資料を購入することもできます。
その奥の扉を開けて、森に入りましょう。
ウィリアム・リケッツ・サンクチュアリは、19世紀末に生まれた芸術家ウィリアム・リケッツの、セラミックの彫刻を展示した野外美術館です。
その作品は自然の中に溶け込んでおり、周りの風景との継ぎ目の分からない、まるで土や木から彫刻が生えてきたかのように見えるのが特徴です。
ほら、いわゆる彫刻とは全然違う風合いでしょう。
ここには90以上の作品が展示されており、自然、スピリチュアルなもの、そしてアボリジニが彼の作品の主要なテーマです。
アボリジニとはオーストラリアの先住民であり、彼らは祖先の時代から決められた特定の領域で、狩猟採集生活をしていました。
入植者であるイギリス人――つまり「文明化された西洋」とはかけ離れた生活様式です。
そこで起こったことは、アメリカの先住民インディアンの歴史と重なる部分が多いように思います。
ウィリアム・リケッツは中央オーストラリアで、アボリジニたちと多くの時間を過ごしました。
そこで彼が抱いたアボリジニの精神世界への共感と深い傾倒は、彫刻を見るとこれ以上ないというほど明らかです。
彫刻の中でとりわけ私が心を打たれたのは、いくつかの女性像でした。
青山晴美『女で読み解くオーストラリア』(明石書店、2004年)を読むと、アボリジニ女性たちがどのような存在だったかがわかります。
イギリス人の入植者たちにとって「内陸では、女性といえばアボリジニだけで、白人男性は力ずくで奪った」。
アボリジニ女性たちは捕らえられ、白人の所有物となり、子を産んだ。
特殊な状況下での「アボリジニ女性の人生の選択はごく限られたものであった」。
オーストラリアでは長らく白人のオーストラリアを目指す政策のもと、白人社会に同化させるために、アボリジニの女性たちから子どもを奪うということが公然と続けられていました。
子の略奪が1970年代まで続けられていたことなどを考えると、オーストラリアの多文化主義というものが、ごく若い概念だということを思い知らされます。
アボリジニ女性たち、その子たちの苦難は、過去と言うにはまだ生々しすぎるものでしょう。
しかし同書の筆者はこうも述べます。
《こうしたアボリジニ女性は、ただ単に、白人に運命をもてあそばれるだけの受け身的な存在だったのであろうか。
過酷な運命にもかかわらず、一人の女性としての生きる意思が、そこにあったのではないだろうか。》
包み込むように子らを抱える彫刻の女性を力強く感じるのは、同書の筆者が指摘するような「受け身ではない生きる意思」を、リケッツが表現しているからではないか。
私はそう思います。
彫刻にはオーストラリアの動物もとり入れられており、これらの作品がオーストラリアでしか生まれえないということを、さらに強く感じさせます。
森の中にはまた、小さなギャラリーやコテージがあり、リケッツに関するビデオ上映があったり、資料が少し展示されていたりします。
その展示によると、彼は一時期インドにいたこともあるようで、妙に納得しました。
というのも、この森に入ったとき、私はアンコールワットに代表されるカンボジアの古代の彫刻群や、タイのアユタヤ遺跡にある、木に飲み込まれる仏像を連想していたからです。
自然と彫刻が一体化したアジアの彫刻群。
それと共通するものを持っているからこそ、神秘性をともないながらも、かけ離れた世界ではないと感じるのかもしれません。
サンクチュアリは1時間ほどで見て回れる広さ。
森を出てバスの時間を確認すると、次のバスが来るまであと1時間……ということになっても、心配はいりません。
こうした空き時間こそ、探検のチャンスというもの。
散歩がてらあたりをぶらぶらすると、サンクチュアリの目の前にも、バス停ひと駅分北に歩いたところにも、カフェがありました。
BRUNCHという名の、バス停一つ分先のそのカフェは、森の中の隠れ家のような佇まい。
道路から店の中の暖炉と本棚が見えて、私は思わず中に入りコーヒーを注文しました。
赤い壁と木のテーブルが、コーヒーとともにぬくもりを与えてくれます。
壁にかかった絵は、フランスのフォーヴの画家に通じるような強い色彩で、アートな一日をより愛おしいものにしてくれました。
(ライター:NAO)